トッパンのあゆみ

凸版印刷合資會社の正面

1900年?1909年

20世紀の初め、明治維新を出発點に、日本が近代化への道を歩みだした時代。

産業化が進みつつあった日本では、新技術を用いて新しいニーズに応える企業が続々と誕生していました。トッパンの創業者たちは、「エルヘート凸版法」という當時最先端の技術を基礎に、証券印刷やパッケージ印刷などの分野にビジネスチャンスを見出しました。

1900年(明治33年)

凸版印刷合資會社の創立

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1908年(明治41年)

凸版印刷株式會社に改組

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創業の時代

エドアルド?キョッソーネ
エルヘート凸版法の銅版

1880年代、大蔵省印刷局(現 獨立行政法人國立印刷局)で、技術指導にあたっていた御雇外國人のエドアルド?キヨッソーネは、多くの技術者を育てるかたわら、細紋彫刻機の操作、エルヘート凸版法、すかし模様をつくる版面製造法など、日本の紙幣印刷技術の向上に大きな功績を殘していました。

キヨッソーネの下で最新の印刷技術を學び、その後凸版印刷の創始者となる木村延吉と降矢銀次郎の二人の技術者は、當時最先端の印刷技術である「エルヘート凸版法」を基礎に、日本の印刷業界のさらなる発展を考えていました。しかし、受注を見込んでいた有価証券などの高級印刷物は、不況の折から需要はわずかで、事業を軌道に乗せることは困難を極めました。

木村延吉
降矢銀次郎
伊藤貴志

河合辰太郎
(初代社長)
三輪信次郎

そのころ、日本のたばこ業界では民営のたばこ會社であった村井兄弟商會と巖谷商會が熾烈な販売競爭を繰り広げていました。ここにビジネスの可能性を見出した木村と降矢は、村井兄弟商會がアメリカ製の最新印刷機を導入するという話を聞くと、すぐに巖谷商會へ「エルヘート凸版法」による外箱印刷の提案を持ち込みました。

村井兄弟商會の設備増強に危機感を抱いていた巖谷商會も精巧な「エルヘート凸版法」による製品に魅力を感じていました。こうして木村と降矢は印刷局を離れてから8年目にして、ようやく「エルヘート凸版法」による恒常的な受注先を獲得したのでした。

その後、伊藤貴志、河合辰太郎(初代社長)、三輪信次郎の3名の出資者を加えた5人の創業者により、1900年1月17日、東京市下谷區二長町1番地(現 東京都臺東區臺東一丁目)に「凸版印刷合資會社」が誕生しました。

(左)銅凸版及石版印刷所設立趣意書
(中)凸版印刷會社設立ノ趣旨 (右)契約書

木村は印刷會社設立にあたり、前年の1899年、「銅凸版及石版印刷所設立趣意書」を起草しました。これを基に、創業者5人が議論を重ね、「凸版印刷會社設立ノ趣旨」を作成しました。併せて種々の取り決めに従い、設立の「契約書」を作成しました。

これらの文書には、ベンチャーとして起業を志した創業者たちの、熱い想いが綴られており、トッパン創業の精神を現在へと受け継ぐ貴重な資料となっています。

凸版印刷株式會社に改組

1908年、凸版印刷合資會社は、資本金を40萬円に倍増し、組織を改めて凸版印刷株式會社として再出発しました。同年6月4日に創立総會が開催され、以來この6月4日を凸版印刷株式會社の創立記念日としています。合資會社発足時の定款と異なる點は、銅凸版、銅鋼凹版、石版、アルミニウム版、寫真応用版の製版印刷に「製本及び活字類の鋳造販売」が加えられたことです。これは日本國民の生活水準の向上、文化の発達、出版社の躍進に対応して、當社が活版印刷の分野へ照準を合わせたことの反映であるといえます。

本社工場「平和紀念」絵葉書
梱包作業(1919年ごろ撮影)

1910年~1919年

1910年代、工業の発展とともに都市へ人々が集まり、
消費文化が花開いた時代。

街では、百貨店の美しいデザインポスター、労働組合のポスター、ビラが多く見られるなど、様々な情報の受け渡しの手段として、印刷物が大きな役割を果たすようになっていました。トッパンは、アメリカからオフセット印刷などの新技術を導入し、新たなニーズに応えて多様な印刷物を送りだしていました。

1917年(大正6年)

オフセット印刷合名會社の買収

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オフセット印刷機の登場と設備導入

井上源之丞と愛用の自転車

1908年、日本に初めてオフセット印刷機を紹介したのは、アメリカ?サンフランシスコの石版業者シュミット?リソグラフ社のマックス?シュミット社長でした。これを契機に大蔵省印刷局を中心にオフセット印刷研究の気運が高まっていました。

1911年、新技術のオフセット印刷機の將來性をいちはやく見抜いた當社支配人の井上源之丞は、詳細な計畫書を作成し、オフセット印刷機の設備導入を経営陣に提案しました。しかし、苦しい経営狀況のさなか、河合社長をはじめ経営陣からの賛同を得ることはできませんでした。

オフセット印刷合名會社に導入したハリス社製四六半裁オフセット輪転印刷機

1914年、諦めることのなかった井上は、オフセット印刷に熱意をもつ同志の市田幸四郎、中西虎之助に協力して、新鋭のオフセット印刷機を導入した「オフセット印刷合名會社」の設立に參畫し、営業面から支援しました。同社の製品の出來栄えはすばらしく、驚異的な印刷速度もオフセット印刷の評価を高め、その後も同社は順調に成長を続けました。

やがて社內の大勢もオフセット印刷合名會社との合併に傾き、1917年、臨時株主総會によりオフセット印刷合名會社の買収が可決されました。

竣工當時の本社工場(1922年)

1920年~1929年

1923年、関東大震災は日本経済に深刻な影を落としました。
その反面、復興の諸事業によって東京の景観は大きく変わりました。

震災の復興の波が、市域を広げ、都市の景観や人々の生活を向上させていくなか、都市部の大衆文化の発展は、書物の大量発行?大量生産の需要を呼び起こします。それは、これまで多品種少量生産が主流であった印刷業に大量生産と低コストが本格的に求められる時代の幕開けでもありました。

1920年(大正9年)

米國よりHB寫真製版法とその裝置を導入

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1922年(大正11年)

本社新工場落成

1926年(大正15年)

東京市小石川區西江戸川町(現 東京都文京區水道一丁目)に小石川紙器工場を開設

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1927年(昭和2年)

大阪市西淀川區大仁西二丁目(現 大阪市大淀區大淀北一丁目)に大阪分工場を新設

HB寫真製版法の導入

1920年頃、アメリカでは、寫真応用平版の技術と機械化した殖版焼きつけ法を中心とする多色カラー印刷のための「HBプロセス」と呼ばれる、精密かつ能率的な製版法が普及しはじめていました。

市田オフセット印刷株式會社の市田幸四郎は、アメリカのHB特許會社と特許権の買い取りを畫策し、交渉を続けていました。1社でこの特許権を購入することは難しいと判斷した市田は、親交のあった當社支配人の井上源之丞に相談を持ちかけました。井上は、當社と市田オフセット印刷(株)を含む印刷業界6社に聲をかけ、「日本エッチ、ビー特許製版株式會社」を設立しました。こうして、HBプロセス裝置の第1號機は、市田オフセット印刷(株)に設置されることとなり、翌年には、當社に第2號機が設置されました。

東京紙器(株)を吸収合併

小石川紙器工場(1926年)

1926年4月8日、當社は臨時株主総會を開き、東京紙器株式會社の吸収合併の報告を行いました。この合併により、東京紙器(株)の設備と従業員のすべてを當社が引き継ぎ、西江戸川町の工場は當社の小石川紙器工場となりました。これにより、紙器?パッケージ部門の本格的な生産體制を築く第一歩となりました。

第1期工事の進む板橋工場

1930年~1939年

世界恐慌の余波は、日本の産業界を深刻な不振に追い込み、
印刷業界もかつてない不況に見舞われました。

このようななか、當時社長の井上源之丞は、日本の將來の姿と印刷業界の発展性を見據えて、世界有數の近代的工場の建設に踏み切りました。

1938年(昭和13年)

東京市板橋區志村(現 東京都板橋區志村一丁目)に板橋工場を竣工、操業開始

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板橋工場の竣工

完成した板橋工場(1940年)

ニューヨーク株式市場に端を発する世界恐慌は、日本の産業界を深刻な不振に追い込みました。

しかし、當社は、恐慌の時代を経費削減や積極的な営業活動によって乗り切り、順調に事業を拡大させていました。景気が少しずつ回復するにつれ、不況期には協調して事業を展開していた印刷會社各社も次第に競合するようになりました。このようななか、社長の井上は、日本の印刷業界の將來性を推し量るべく、日本の紙の消費量の調査を実施、その結果、主要先進國に比べると、日本の紙の消費量が著しく少なく、同時に印刷物の生産量も少ないことが判明しました。日本の印刷業界がまだまだ発展途上の段階にあり、今後の需要拡大は確実であると判斷しました。

操業開始のころの板橋工場內部

そこで當社は、將來の印刷需要の増大を前提として、他社に劣らない規模の設備を備えた新工場建設の方針を決め、直ちに建設計畫に著手しました。

新工場の板橋工場は、総面積約6萬6000平方メートル。工場の建物は4萬平方メートルあり、洋風庭園と運動設備を備え、當時の工場のイメージを一新する近代的な工場でした。第1期工事が終了した1938年に操業を開始、すべて完成したのは1940年でした。

女子勤労報國隊の作業風景

1940年~1949年

第二次世界大戦の戦時統制の下、
日本の産業界は戦爭遂行のために、総動員されていました。

企業が総動員されるなか、印刷業界も例外ではなく、國債など証券類の発行をはじめ、増加する政府の需要に応えて、印刷會社は繁忙を極めました。終戦後、混亂期の経済統制の必要性により、政府からの需要はしばらくの間も続きました。

1945年(昭和20年)

大蔵省(現 財務省)募集の日本銀行券新図案に応募の全券種入選(1000円、500円、100円、10円、5円、1円)

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1946年(昭和21年)

板橋?富士?大阪支社工場が、通貨等製造工場管理規則により大蔵省管理工場に指定(1952年指定廃止)

終戦後の繁忙期

終戦後、當社は、日本銀行券や郵便切手、寶くじの印刷など多くは政府からの需要により繁忙を極めました。

1945年10月、當時の大蔵省は、本格的な新日銀券を製造?発行すると発表し、同時にその図案を民間印刷工場の図案専門家にも作成させることにしました。新円の図案は、印刷局はもちろん、當社をはじめ主要印刷會社から47點が提出され、審査の結果、1000円、500円、100円、10円、5円、1円の當社が提出した全券種が入選しました。

郵便切手では、大蔵省の切手製造用の印刷機などが空襲のため焼失していたため、印刷局では郵便切手の一部を紙幣印刷工場で製造していました。そのほかは民間の印刷會社に委託していました。當時、のりなし、無目打の切手は、第3次昭和切手とよばれており、民間委託分の多くは當社が受注していました。また地方寶くじの発行が許可されると、さっそく9県が地方復興くじを発行しました。當社はそのうち、正式な地方寶くじ第1號の福井県寶くじ、神奈川県寶くじ、新潟県寶くじの3県のくじを受注しました。

活版製版植字臺 板橋工場

1950年~1959年

1950年代半ば、戦後の復興の兆しが見えてきた日本は、
技術革新を基盤に高度経済成長への口火を切ることになりました。

戦後の復興にともなう混亂期にもかかわらず、多くの人々は、活字文化を渇望していました。新しい書物や雑誌が次々と刊行され、印刷業では、大量生産?低コストの生産體制が求められました。このようななか、當社の板橋工場では、量産體制の整備を著々と進めていました。

1951年(昭和26年)

証券用凸版多色細紋印刷(MCF印刷)の製版印刷技術を開発

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1958年(昭和33年)

建材用化粧紙の製版、印刷を開始

MCF印刷の製版印刷技術の開発

ザンメル式凸版多色細紋MCF印刷機
MCF機による當社の株券

創業以來、有価証券類の印刷に力を注いできた當社は、1951年には、証券用凸版多色細紋印刷の製版印刷技術を開発するなど、証券印刷の分野に新たな可能性を切り拓きました。ザンメル式の多色細紋印刷には凸版4色枚葉輪転機(MCF機)を使うようになりました。この印刷方式で印刷すると、模様の畫線の色が途中から変化し、しかも刷り合わせの狂いがまったくない獨特の印刷ができることから、社內では、Multi Color Figureを略して「MCF印刷」と呼んでいました。

同機は、やがて有価証券類の偽造防止の需要において大活躍することになり、MCF印刷は細紋印刷の代名詞のように言われるまでになりました。

トッパンビル(1968年)

1960年~1969年

日本の高度経済成長と本格的な大衆消費の時代の幕開け

日本の高度経済成長と急成長する企業とともに、賃金も上がり、人々は耐久消費財の購入など、より良い生活を求めるようになりました。本格的な大衆消費の時代の幕開けは、耐久財のカタログ、スーパーマーケットのチラシなど多種多様な印刷物を世に送り出し、また商品パッケージの分野などでも消費者へ訴求力の高い製品が求められました。

1960年(昭和35年)

メサ型トランジスタ製造用マスクや、テレビブラウン管用シャドウマスクなどの精密部品実験工場を開設

小石川工場內に技術研究所を開設

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1961年(昭和36年)

中央區銀座に「凸版印刷サービスセンター(現 トッパンアイデアセンター)」を設立

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1963年(昭和38年)

凸版印刷(香港)有限公司を設立

1964年(昭和39年)

ニューヨーク駐在員事務所を開設

1965年(昭和40年)

カナダのムーア社と合弁でトッパン?ムーア?ビジネスフォーム株式會社(現 トッパン?フォームズ株式會社)を設立

メサ型トランジスタ製造用マスクの初の國産化

メサ型トランジスタ製造用マスク

當社は、1950年代後半ごろより、トランジスタ製造用マスクや、磁性インキによるシンクロシートの開発など、印刷の製版技術を利用した新技術の開発を手がけてきました。

メサ型トランジスタ製造用マスクの初の國産化に成功した當社は、これを契機に本格的にマスク製造への取り組みの強化を進めました。

1960年、技術研究所が発足した際には、トランジスタマスクとシャドウマスクの研究、および工業化のための研究班が設けられ、実験工場で実生産も開始されました。また同年、「メサ型トランジスタ用シャドウエバポレーションマスクの工業化試験」に対しては、通商産業省(現 経済産業省)から鉱工業技術の工業化試験研究補助金の交付を受けました。

サービスセンター(現 トッパンアイデアセンター)の設立

凸版印刷サービスセンター
サービスセンター內部 寫真部

1961年1月、當社は新規事業開拓の拠點として、東京都中央區銀座に「凸版印刷サービスセンター」を開設しました。ここには、新設したデザイン企畫部が常駐し、既存の営業手法に加えて、印刷原稿の作成からデザイン?レイアウトにいたるまでを當社が請け負うことで、受注活動をよりいっそう促進させるねらいがありました。

その後、サービスセンターは、1964年に「トッパンアイデアセンター(TIC)」と改稱し、さらに大阪にも「トッパンアイデアセンター大阪」がつくられ、以後、全國主要都市にTICが設置されていきました。

朝霞工場クリーンルーム入口

1970年~1979年

ドルショックと2度のオイルショックは、安定した円?ドルレート、
安価なエネルギーに支えられた日本の高度成長の基盤を揺さぶりました。

1974年、日本は戦後初めてマイナス成長を記録しました。このような危機に対して日本の企業は、経営の減量化、効率化を推進し、安定成長へのステップを踏み出しました。當社は、コンピュータ組版の導入、海外展開の加速、エレクトロニクス系製品の強化など意欲的に事業の拡大を図りました。

1970年(昭和45年)

コンピュータ組版をわが國で初めて実用化

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1971年(昭和46年)

ニューヨークにトッパン?プリンティング?カンパニー(アメリカ)を設立

ロンドン駐在員事務所を開設

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1972年(昭和47年)

技術開発の核として、中央研究所を開設

1973年(昭和48年)

畫期的製版法である「トッパンTHグラビアプロセス」を完成、その後海外への技術輸出が相次ぐ

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1976年(昭和51年)

ジュース、酒などの液體紙容器「トッパンEP-PAK」を開発

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1978年(昭和53年)

東京工業大學と富士寫真光機(株)との共同で、マルチプレックスタイプのホログラムを開発

コンピュータ組版システムをわが國で初めて実用化

コンピュータによる組版作業(1970年)

1960年代後半、情報化時代の到來とともに、印刷される情報量もますます増大するものと見られ、人手に頼る文字組版から、より機械化された合理化システムへの転換が必要であるという考え方が主流となってきました。このような背景のなか、當社ではコンピュータによる文字組版の検討が板橋事業部の技術部を中心に進められていました。1968年には、寫真植字方式によるCTS(Computerized Typesetting System)の検討が本格化し、富士通株式會社を提攜先として、新システムの開発を進めることになりました。

CTS現場の作業風景(1970年)

1970年にCTS(コンピュータ組版システム)が実用化された後、大量の情報を高速に処理できる小型で廉価なコンピュータの出現により、CTSはさらに広く普及するようになりました。

積極化する海外市場への展開

1960年外國部のスタートとともに、日本の國際競爭力が増してくるにつれて、海外への営業活動が活発化してきました。當初海外からの引き合いは在京工場に生産委託していましたが、海外からの受注が増加してくるにつれて、海外輸出における納期や輸送コストを抑え、現地の需要や技術水準に相応した営業拠點や生産拠點の必要性が増してきました。このようななか、當社は、韓國の有力印刷會社である光明印刷公社との合弁會社の設立をはじめ、シドニー、ロンドンに駐在員事務所の開設、ニューヨークに現地法人「トッパン?プリンティング?カンパニー(アメリカ)」の設立、香港の現地法人の新社屋竣工など海外における活動の強化を進めてきました。

「トッパンTHグラビア?プロセス」が完成

1960年代半ばから研究を開始した「THグラビア?プロセス」の技術が、1973年10月に完成しました。従來のグラビア印刷は、鮮明度や濃淡の階調再現の不安定さが問題とされていましたが、當社はこれらの問題の解決にあたり、畫期的な網グラビア製版方式の開発に成功しました。

海外からの反響も早く、1976年にはスイスのコンツェット?フーバー社とスイス國內での獨占的実施権と技術提供の契約を締結。次いで、アメリカのR.R.ダネリー?アンド?サンズ社と同様の契約を締結しました。以後、1970年代においてスペイン、スウェーデン、オーストラリア、南アフリカ、オーストリア、イギリスへとTHグラビアの技術が輸出されました。

多層ラミネート液體紙容器「EP-PAK」を開発

1970年代後半から、液體紙容器は用途に応じた多彩な展開を開始しました。ポリエチレンと紙を3層にラミネートした容器は、牛乳やジュース用に利用されていましたが、當社はこれに改良を加え、1976年に液體紙容器「トッパンEP-PAK」を開発しました。

「トッパンEP-PAK」は、多層成形の容器で、液の觸れる部分はポリエチレンとなっており、それから順にアルミ箔、ポリエチレン、紙、ポリエチレンと5層に積層加工したものです。浸透性の強い內容物でも長く保存できるよう、紙の切斷面がじかに內容液に觸れないように折り込んで成形してあるのが特長で、「トッパンEP-PAK」は、浸透性の強い液體である日本酒や醤油などには、最適の容器です。

新本社ビル

1980年~1989年

「経済大國」日本は、世界経済の牽引役として、
國際的協調と景気回復の役割を求められていました。

國內では情報通信関係の法的な規制が改正され、コンピュータを駆使した新しい情報伝達手段への期待が高まっていました。そうした技術の変化は、1960年代から印刷の高度精細技術に基づいて展開していたエレクトロニクス関係の事業に弾みをつけるものでした。

1980年(昭和55年)

ビデオ畫像信號から直接製版する「トッパンビデオ製版システム」をわが國で初めて開発

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1983年(昭和58年)

IC內蔵の「ICチップインカード」をトッパン?ムーア(株)、東京磁気印刷(株)と共同開発

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1985年(昭和60年)

フランス文化省との共催で「日仏現代ポスター交流展」を東京で開催

1986年(昭和61年)

総合研究所竣工

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1987年(昭和62年)

「印刷史料館」を開設

1988年(昭和63年)

CGステレオ(立體)印刷技術を開発

カラー印刷用高精細畫像データを國際伝送。ソウル五輪で活躍

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?トッパンビデオ製版システム」を実用化 

1970年代までは、テレビの映像を印刷用原稿にする場合、ブラウン管に映し出された映像を直接撮影し、そのカラー寫真を印刷用原稿として用いていました。しかしこの方法では、解像度?色調?階調性などの面で満足できる品質を得ることは困難でした。

こうした不満を解消するため、1980年春に「トッパンビデオ製版システム」として完成しました。これは、VTRの畫像信號を直接カラースキャナーに入力し、畫像信號からカラー印刷に用いる4版(C?M?Y?K)※を作成するシステムです。ビデオテープの映像しか存在しない場合や、衛星中継などで放送されるスポーツ、ニュース映像の速報などに有利であり、また、連続するビデオ映像から決定的瞬間の畫像を抽出したり、連続分解寫真を作成することも可能です。このシステムは、國際スポーツ大會や重大事件を速報で報道する多くの雑誌やグラフ誌に活用され、その評価を高めました。
※C(Cyan シアン)?M(Magenta マゼンタ)?Y(Yellow イエロー)?K(Key plate キー?プレート=ブラック)

「ICカード」を開発

1983年10月、當社はプラスチックカードの內部にICを組み込んだ「ICカード」を開発しました。このカードは、當時使用されていたキャッシュカードやクレジットカードの機能を損なうことなく、ICを限られたスペースに內蔵させたもので、カードの利用範囲を飛躍的に広げるものです。

カードに內蔵されるICは、これまでのカードと比べて単に情報量が増えるというだけでなく、カード自體が頭脳をもったインテリジェンスカードとして使用できるのが特長。さらに、端末機器を通してホストコンピュータに接続し、より複雑な情報処理が行えるので、機密の保持性を高めるとともに、1枚のカードでより高度な仕事を行うことができるようになりました。

総合研究所が竣工、印刷史料館を開設

総合研究所 外観

1986年7月、埼玉県杉戸町に、當社の研究部門の要となる総合研究所が完成しました。この総合研究所は、管理棟?実験棟?研究棟からなっています。これまで製品部門別に獨立していた各研究所を統合することにより、異種研究者間の交流、切磋琢磨を図ることがねらいでした。つまり、総合研究所構想の真意は、分野ごとの「研究の総合化」ではなく、「研究所施設の集中化」による人的交流の活発化と、それにともなう技術的「シーズ」の異種交配がねらいであったといえます。

1987年9月、當社や印刷業に対する社會的理解を促進するための施設として「印刷史料館」が総合研究所內に開設されました。これが2000年に開館した「印刷博物館」につながっていきます。

ソウル?オリンピックで國際畫像データ伝送

かねてより當社は、印刷用高精細畫像の遠距離伝送に取り組んでいましたが、1988年9月に、ソウル?オリンピックのカラー高精細畫像を伝送するネットワークを構築しました。この畫像伝送では、畫像の圧縮?復元技術に格段の進歩があったほか、NHKによるハイビジョン放送を直接製版する技術を活用するなど、當社の畫像伝送?製版技術が、オリンピックの寫真報道に大きな貢獻を果たしました。

液晶カラーフィルタの生産ライン

1990年~1999年

バブル経済の崩壊は、その後の日本経済の大きな重石となりました。

一方、IT化の普及は、ビジネスや人々の生活に様々な変化をもたらしました。印刷業に対しては、「文化?情報産業の擔い手」としての新しい役割を求められる一方、印刷の縮小という痛みをも伴うものでした。

1991年(平成3年)

「エコロジーセンター」開設

「日本のポスター100」収集と復刻

1993年(平成5年)

東京都および板橋區との第三セクター方式による障害者特例子會社 東京都プリプレス?トッパン株式會社を設立

1994年(平成6年)

本所GCビル完成、「トッパンプリプレスセンター」を開設

Web上のモール実験「サイバー?パブリッシング?ジャパン」開始

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1995年(平成7年)

「歐米のポスター100」収集と復刻

1996年(平成8年)

紙製飲料缶「カートカン」を販売開始

「歐米のポスター100」が「メセナ大賞’96」メセナ國際賞を受賞

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1997年(平成9年)

坂戸工場が竣工、操業開始

1998年(平成10年)

トッパン?フォームズ(株)、東京証券取引所第一部に上場

1999年(平成11年)

デジタルコンテンツ流通事業「Bitway」開始

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「サイバー?パブリッシング?ジャパン」の実験開始

1994年12月、當社は共同通信社や麒麟麥酒㈱、㈱資生堂、㈱小學館などに呼びかけ、慶應義塾大學と協力してインターネットを利用して、共同で情報提供を行う実験を開始しました。このシステムは、インターネット上に架空のショッピングモールを構築し、そこに參加各社の店舗を模したコーナーを設け、任意の店を選択するとそれぞれが提供する情報を閲覧できるというものです。このように複數の企業が共同で行った例は、これが初めてでした。

実験に際しては、當社がワークステーションおよびインターネット接続環境を提供し、東京とロサンゼルスにWWWサーバーを設置。インターネット利用のビジネスや広報活動、ネットワーク出版などに関して、參加企業とともにノウハウを蓄積していきました。

紙製飲料缶「カートカン」を販売開始

金屬に代わる紙製飲料缶「カートカン」(1996年)

1996年から、常溫で長期保存が可能な紙製飲料缶「カートカン」の販売を開始しました。この「カートカン」は、金屬缶と同形狀でありながらほぼすべてが紙製で、既存の自動販売機での販売も可能です。また、電子レンジによる直接加熱が可能なほか、焼卻処理が容易でリサイクル適性があるなどの優れた特長をいくつも持っています。商品の製造には専用の成形無菌充填機を用いますが、ロールの狀態から、成形、充填までを一貫したラインで行うことができるため、空容器の運送にコストがかからない利點もあります。

この畫期的な新製品の登場は大きな反響を呼び、同年に日本経済新聞社主催の「日経優秀商品?サービス賞」の優秀賞を受賞し、翌1997年には、(社)日本包裝技術協會主催のパッケージング?コンテストで第21回木下賞を受賞するなど、さまざまな方面から高い評価を得ました。

「Bitway」を開始

1999年7月、當社は、インターネット上で情報の流通を専門に行う新事業「Bitway」のサービスを開始しました。この事業で當社は、情報それ自體を直接販売するのではなく、情報提供者とインターネットサービスプロバイダー(IPS)を結ぶ情報流通網を提供し、情報がユーザーに販売されるたびに一定の流通手數料を徴収するというシステムをとりました。この「Bitway」は、その後、當社のインターネットコンテンツ事業の核として、さまざまな企畫を立案してビジネスを拡大していきました。

トッパン小石川ビル

2000年~2009年

世界的金融危機の影響やBRICsなど新興國の臺頭により、
世界経済の構造は大きな変化を遂げました。

日本を含めた多くの先進國では、少子高齢化の進行や新たなメディアの普及とともに、ライフスタイルの多様化が進み、企業へ期待も変わってきました。このようななか、トッパンは、市場の変化を大きなチャンスと捉え、新しい事業の創造と次世代への投資を進め、成長を続けてきました。

2000年(平成12年)

トッパン小石川ビルが竣工、「トッパンホール」および「印刷博物館」オープン

「TOPPAN FAIR 2000」全國6ヵ所で開催

中國?故宮博物院と「故宮文化資産のデジタル化応用研究」を開始

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2001年(平成13年)

當社100年史『凸版百年』『百年百刷』、『印刷博物誌』を発刊

「ちらしマーケット! Shufoo!(シュフー!)」がスタート

2002年(平成14年)

日本電気(株)とプリント配線板の新會社 株式會社トッパンNECサーキットソリューションズを設立

トッパンホールの運営に対し、「メセナ大賞2002」において「奨勵賞」を受賞

2003年(平成15年)

非接觸ICカード「SMARTICS-Fe」を開発

上海凸版有限公司、上海凸版印刷有限公司を設立

故宮文化資産デジタル化応用研究所を故宮博物院內に開所

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2004年(平成16年)

東京都文京區より?企業市民栄譽賞?を受賞

世界初となる第6世代サイズのカラーフィルタの生産を開始

日本たばこ産業(株)から印刷事業関連子會社3社の株式譲受

2005年(平成17年)

米デュポン フォトマスク インクの全株式の取得が完了、トッパン フォトマスクス インクが始動

米IBMと先端フォトマスク共同開発契約を締結

建裝材事業部とトッパン?コスモが事業統合、新生 株式會社トッパン?コスモを設立

理化學研究所、島津製作所と共同で「試薬-チップ一體型全自動SNPs解析システム」を開発

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2006年(平成18年)

「TOPPAN SOLUTION WORLD 2006」を全國7カ所で開催

ギリシャ政府と「ギリシャ身分証明書発行システム」供給の契約を締結。現地子會社 トッパンギリシャを開設

紙製飲料缶「カートカン」が、第3回エコプロダクツ大賞「農林水産大臣賞」を受賞

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2007年(平成19年)

「世界で最も持続可能な100社」に選出(2008、2009年とあわせ3年連続選出)

ホログラムに超微細文字を埋めこむ新技術「ナノテキスト」を開発

VRコンテンツ?故宮VR《紫禁城?天子の宮殿》」を一般公開

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2008年(平成20年)

識字率向上に向けた教育支援のための「トッパンチャリティーコンサート」を開催

米國デュポン社と太陽電池バックシートに関する契約を締結

シンガポール大手印刷會社SNP社を買収

2009年(平成21年)

次世代機能性フィルムの製造拠點となる深谷工場竣工

技能五輪國際大會<印刷職種>で金メダル獲得

中國?北京に書籍?雑誌および包材印刷の新工場を建設

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創立100周年、“第二の創業”

印刷博物館

2000年、當社は創立100周年を迎え、各種記念事業が実施されました。100周年記念事業は、2000年を、100年の歴史の結実と21世紀の新しい企業像を創成することを期して“第二の創業”と位置づけ、當社がさらに成長し続けるために必要な意識や企業體質の変革に向けた活動でした。

トッパンホール

同年4月、小石川地區の再開発として建設を進めてきた「トッパン小石川ビル」が竣工し、21世紀に情報コミュニケーション産業として飛躍していくための最重要拠點が誕生しました。同年6月には、當社の社會?文化貢獻活動の一環として、クラシック音楽中心のコンサートホール「トッパンホール」が完成。続いて同年10月には、印刷と社會?文化との関わりを過去?現在?未來から展示する「印刷博物館」が開館しました。   また、記念事業の締めくくりとして、翌2001年6月、當社100年の歴史をつづった社史『凸版百年』(経営史)?『百年百刷』(製品史)と、印刷とコミュニケーションに関するあらゆる事象をまとめた『印刷博物誌』を刊行しました。

「故宮デジタル研究所」が竣工

當社と中國?故宮博物院は2000年以降、故宮の文化財保存と公開にデジタル技術を応用する共同プロジェクトを進めていましたが、2003年10月、故宮博物院內に「故宮文化遺産デジタル応用研究所(略稱:故宮デジタル研究所)」を開設しました。

共同研究の成果として、同年VRコンテンツ「故宮VR《紫禁城?天子の宮殿》」第一部「太和殿」、2005年には同第二部「三大殿」を発表しました。この作品は、康熙?乾隆帝時代(1660-1790年代)の紫禁城の姿を再現したものです。2006年10月には、世界で初めて故宮博物院における文物の三次元計測を、故宮?紫禁城の代表的な宮殿である「養心殿」で実施しました。

「トッパン フォトマスクス インク」が始動、米IBMと共同開発契約を締結

2005年4月、半導體用フォトマスクおよび電子設計ソフトの開発製造大手であるアメリカのデュポン フォトマスク インクを統合し、當社の100%子會社として、「トッパン フォトマスクス インク」が始動しました。これにより當社は、北米、歐州、アジア/パシフィックの3地域すべてに生産拠點を持つ世界で唯一のフォトマスクサプライヤーとなり、シェアでも世界のトップに立ちました。

また、同年5月には、アメリカのIBMコーポレーションと、次世代半導體製造プロセスである45nm(ナノメートル、1nmは10億分の1メートル)プロセスに対応するフォトマスクの共同開発契約を締結しました。これにより、成長する情報通信機器やデジタル家電などの高機能化、多機能化にともなって、その製造プロセスに不可欠な最先端フォトマスクの製造と最適なフォトマスクの開発を同時に行える體制を整えました。

ギリシャ政府と、「ギリシャ身分証明書発行システム」供給で契約

當社は、ギリシャ政府と「ギリシャ身分証明書発行システム」の10年間(2006年4月-2015年4月)にわたる供給契約を締結しました。本システムは當社が新たに開発したシステムで、パスポートやIDカード、運転免許証など、ハイセキュリティな各種証明書を発行できるのが特長。2006年8月から本システムで、ギリシャICパスポートおよびギリシャ警察向けe-IDカードの発行を開始しました。それまで當社が開発した技術は、12カ國で採用されており、2004年アテネ?オリンピックでは、選手や関係者の身分証明書(ADカード)発行機として採用され、約10萬枚のADカードが発行されました。

「Global 100(世界で最も持続可能な100社)」に選出

2007年1月、スイス?ダボスで開催された「世界経済フォーラム年次総會」(通稱:ダボス會議)で、「Global 100」(Global 100 Most Sustainable Corporations in World 2007)が発表され、當社が國內の印刷業界で初めて選出されました。「Global 100」は世界の上場企業約1500社を対象として、産業部門別に、社會、環境、ガバナンスのリスクならびに事業機會に対応する最高の管理能力を保持し、サスティナビリティ(持続可能性)が高いと評価される世界の企業100社を選出するものです。

なお、當社はこれ以降3年連続で、國內印刷業界で唯一「Global 100」に選出されています。

技能五輪國際大會の<印刷職種>で金メダルを獲得

2009年9月、カナダ?カルガリーで開催された第40回技能五輪國際大會に、當社から日本代表で出場した菊池憲明選手(㈱トッパンコミュニケーションプロダクツ札幌工場)が、<印刷職種>で日本初となる金メダルを獲得しました。カルガリー大會への出場は、<印刷職種>が初めて正式種目となった2007年の靜岡?沼津での第39回大會に続いて、當社から2大會連続で日本代表となる栄譽でした。

菊池選手の金メダル獲得は、當社の技能伝承の取り組みの成果を示したと同時に、日本の印刷産業の技術力の高さが認められた証となりました。

ジョージア工場

2010年~2017年

日本の経済狀況が好転しない中、生活者は品質に加えて環境への配慮、
安全性などの「付加価値」を重視するようになりました。

企業は、デジタル化とグローバル化が進展する時代における価値観の変化や新しいメディアの臺頭に対して柔軟に対応することが求められています。トッパンは、「印刷テクノロジー」を核にビジネスモデルの変革を進め、新たな成長エンジンを創り出すための挑戦を続けています。

2010年(平成22年)

高野山にて創立110周年記念事業「先人之碑」の建立式典を挙行

企業の広報ツール向けにカーボンオフセットを総合支援するサービスを開始

印刷博物館の運営で、メセナアワード2010「印刷文化振興賞」を受賞

2011年(平成23年)

電子書籍市場の拡大に向け、クラウド型電子書籍ストア「BookLive!」オープン

文化財デジタルアーカイブ用の大型オルソスキャナーを開発

東日本大震災の被災地域での移動図書館「ブックワゴン」をスタート

2012年(平成24年)

放射性物質を吸著するゼオライト機能紙を開発

デジタルサイネージによる次世代型館內案內システムの提供開始

熱殺菌後の酸素ガスバリア性が世界一の透明ハイバリアフィルム「PRIME BARRIER レトルトグレード」を開発

2013年(平成25年)

東京國立博物館と、同館東洋館に「TNM & TOPPAN ミュージアムシアター」を新設

ビジネスモデルの変革をグローバルに推進するため、シンガポール支社を新設

基幹システムを集約した、高セキュリティ対応のトッパングループ?データセンター竣工

高性能な銅タッチパネルモジュールを開発、世界で初めて量産開始

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2014年(平成26年)

経済産業省の「ダイバーシティ経営企業100選」に選出

國內外の軟包材生産のマザー工場となる群馬センター工場竣工

「凸版 文久體?」のフォント製品を(株)モリサワより販売開始

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2015年(平成27年)

無料で學べる新學習サービス「學びゲット!」を提供開始

GPS連動型コンテンツ配信プラットフォーム「ストリートミュージアム」を提供開始

2016年(平成28年)

トッパンホールが「第47回(2015年度)サントリー音楽賞」を受賞

海外初の透明バリアフィルム生産拠點となるTOPPAN USA ジョージア工場竣工

液晶調光フィルム「LCMGIC(エルシーマジック)」を販売開始

東京2020オリンピック?パラリンピック競技大會のオフィシャルパートナーに決定

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2017年(平成29年)

経済産業省の健康経営優良法人認定制度における、特に優良な法人として「ホワイト500」に認定

パッケージや建裝材、産業資材などで未來の「ゆたかなくらし」を共創する「L?IF?E」を開設

トッハ?ンク?ルーフ??テ?ータセンター

トッハ?ンク?ルーフ??テ?ータセンター

群馬センター工場

群馬センター工場

シ?ョーシ?ア工場

シ?ョーシ?ア工場